『邪魅の雫』(☆3.8) 著者:京極夏彦

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「殺してやろう」「死のうかな」「殺したよ」「殺されて仕舞いました」「俺は人殺しなんだ」「死んだのか」「──自首してください」「死ねばお終いなのだ」「ひとごろしは報いを受けねばならない」
昭和二十八年夏。江戸川、大磯、平塚と連鎖するかのように毒殺死体が続々と。
警察も手を拱く中、ついにあの男が登場する! 
「邪なことをすると──死ぬよ」

yahoo紹介より

 

最初に言っておくと『魍魎の函』の最後の台詞にクラッときて以来、僕は木場修のファンである。
しかしながら、この作品で木場修はほとんど出てこない。
出てこないといえば京極堂も榎木津も途中チラッと出てきた以外は最後以外に出番が無い。
京極堂は相変わらずだし、エノさんはシリーズ屈指の格好良さを出してる気がする。
でも物足りない、木場修がいないからだ。
でもそんなことは個人の戯言。

 

さてさて、今回の作品。長いです、長すぎます。
いつもにもまして錯綜する物語。騙られる人々、騙られる物語。
もう前半部分で脳みそクラクラ、すべてが明らかになる場面でも、もう誰が誰の事やら。
事件の原因については、もうある名前が出てきた瞬間に大方の読者が想像つくところだと思います。
またある1点の要素において殺人が起こるという構成そのものも他に例が無いわけじゃない。
ただそのすべての構造を騙りの中に隠してしまうのは、まさに京極夏彦、他に類を見ない作品だと思う。

 

一方でこの騙りに今までのシリーズ作品に感じた艶っぽいものが足りないとも感じる。
なにをもって艶というのかは僕自身も説明できないのだが、なんとなく違和感があるのだ。
いうなればシリーズの作品であって、シリーズの作品ではない感じ。
例えば、僕の記憶が確かならば関口の存在もシリーズ中かつてない扱いだったような気がする。
相変わらずの駄目人間っぷりは変わらないのだが、一方で過去のシリーズでは見せなかった格好良さも見せている。
なにより、シリーズ中関口が物語を語らなかったのは初めてのような気がする。
基本的にこのシリーズの常連達は三人称表記で書かれながらも一人称の如き記述で書かれている。
今回の作品では青木であったり益田であったり。
そしてその中に関口の姿は無い。ただ他人の言葉で語られるだけだ。
もしかしたら、作中で京極堂が自作の書評に悩む関口を叱る場面も含めてそういう意趣が働いているのかもしれない。
つまりは案外関口は自分で思うほどにダメ人間ではないのではないか・・・あくまでダメ人間というのは関口自身が作り出した世界での出来事ではないか
・・・いや、でもやっぱり関口は関口、ダメ人間であったほしいんだけど(笑)

 

さてさてとりとめの無い文章になってしまったけれども、何が言いたいのかというとどうにもこれはシリーズ外伝のような匂いを感じるということ。
もちろんシリーズ作のひとつであることには間違いないのだから、この指摘は当たらないのだろうが。
好みの問題はあるにせよ、完成度の高さだけでいえばシリーズ中最高傑作は『絡新婦の理』だと思っているのだが、この作品はその構造として対極にあると思う。
『絡新婦~』ではすべてがある一点に集約されることによって構成された物語ならば、これはすべてが拡散してしまうことによって構成された主体不在の物語だと思うからだ。それは本来存在しないお化けである『邪魅』(著者インタビューを参照)がタイトルになっている事や、
作中で京極堂はおろか、他の登場人物からも固有名詞としての『邪魅』なる言葉が発せられない・・・いや関口が語ってたかな?
とにかく、最後の最後まで京極堂から『邪魅』が語られることもなく、最後の憑き物落としのパターンもいわゆるお約束から外れている気がする。
まあこの辺は本書の企画段階では、京極堂が登場しない物語だったのだからその匂いが残っているのかもしれない。
とにもかくにもこれは京極堂京極堂ではない以上、僕は1点に収束する物語ではなく拡散する物語と感じた理由はここにあるのです。

 

(ああ、なんだか偉そう。それ以前に意味不明。こんなことを書いてると、作中の京極堂の言葉が突き刺さってくるぞ~。でも負けない。)

 

と同時にこれは一人称で語ることのできない榎木津礼二郎の物語でしかないのだと思う。
「yahooインタビュー」で著者は、榎木津一人称や京極堂一人称の物語は成立しないと語っている。
いやそんなお話も読んでみたいですが、まあ書かれたとしても確かに意味不明な物語になりそうですわな。
だからこそ、三人称で語られる榎木津は無茶ではた迷惑で理解不能にも関わらず、それゆえに格好良く読者の心を掴んで話さないだろうと思う。
この作品で語られる榎木津の過去のエピソード。ある意味ファンにとって興味津々だが結局最後まで榎木津の心はわからない。
結局三人称なのだから、人の心なんてわからない。
だからこそ最後の2ページで見せる榎木津礼二郎の姿から滲み出るものに、ファンは多くの物語を感じ取り卒倒するのだろう(笑)。

 

正直なところ、これだけの長さは必要に感じない気がするのだが、結局それは京極夏彦に対する期待が高いからなのかもしれない。
でも、十分に面白かった。


採点   3.8

(2007.1.19 ブログ再録)