たいりょうのちょっと一息

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『スクランブル』(☆4.0)  著者:若竹七海

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80年代。16歳の冬。女子高のシャワールームで死体が発見された。事件は未解決のまま15年が経ち、文芸部員だった6人の仲間が結婚式で再会。今日、真実は明かされるのか。80年代を背景に、名門女子校で起きた殺人事件をめぐって、鮮やかに描き出された青春群像。17歳だったことのあるすべての人に贈る、ほろにがくて切ない学園ミステリの傑作。

 

一般的に考えると、おそらく若竹氏の中で一番評価の高い作品ではないだろうか。
すこし前、いろいろな方々の記事でこの作品の名前を拝見し、久しぶりに読み返してみた。

 

あらためて読み返すと、ミステリ&青春小説の面白いところがいっぱい詰まっている。
ミステリとしてみると、ひとつの殺人事件を巡る文芸部員の推理合戦のやりとりの面白さ、冒頭で金屏風の前に座っているとされる犯人の正体、意外な真相。
どれをとっても一級の面白さに溢れている。人間的にはまだまだ未成熟な主人公達が考え出す事件の真相の数々はどこか抜けてしまっている。このあたりは決してスーパーな女子高生が存在するわけでもなく、ただ普通の人間達であるがゆえに、それを素直に受け入れる事ができる。
また事件の真相もまた、ある意味ロジックからは距離をおいた生身の人間らしい悪意の存在がある。そこにはロジックの為の悪意ではなく、生きているがゆえの悪意の存在があり、事件そのものの不完全性と共に、作品の核ともいうべきものになっていると思う。

 

この毒の部分の使い方が、若竹作品の大きな魅力であると思う。
一般的に毒というのはミステリにおいて事件を成立させる為に最低限必要なものであると思うが、若竹氏はその毒をロジックの為ではなく登場人物のリアル性の為のみの物語に差し込んでくるような気がするのだ。

 

登場する文芸部員の少女達は友人でありながらも、どこかで相手に嫉妬したり羨望の気持ちを持っている。それは時として一種の悪意を孕むものかもしれない。
ただこの悪意というのは作品の必要性で存在するものではなく、その瞬間を生きているという実感を伴うものであり、読者が青春を振り返った時に甘くも苦いエピソードと共にそこに存在しうるものだと思う。
だからこそ、読者はこの物語にミステリの面白さとともに青春小説の面白さを感じることができるのではないだろうか。

 

自分自身のアイデンティティを求めつつも、孤独を恐れてしまう。また自分が傷つくのを恐れ、それを防ぐ為(あるいは恐れをごまかす為)に他者を傷つけてしまう。
この作品に登場する少女達の心の揺らぎは、遠い昔においてきた自分の記憶とだぶってしまう気がしてしまう。
そして今の自分と、登場する大人達の心情を重ね合わせてしまうことによって、自分自身気付かなかった変化、大人になって変わってしまった部分に気付かされるかもしれない。

 

若竹七海の毒。なかなかに強烈である。だからこの人の小説は好きなのだ。

 

ところで主人公の文芸部員達、「ぼくのミステリな日常」に出て来てませんでしたっけ?箱根に行った女子高生たちがロープウエィの中から子供が消えてしまうってっていう話に出て来た人達がそうだったような・・・。
手元に「ぼくの~」が無いので真相が分かりません。気になるよ~^^;