『虚無への供物』(☆5.0) 著者:中井英夫(塔晶夫)

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1841年、エドガー・アラン・ポオの「モルグ街の殺人」により幕を上げた近代ミステリーの歴史は、1964年、わが国の一冊の書物によって本質的にその終焉を告げた。スタイルを探偵小説に借りて時代に捧げられた一冊の供物。絶対主義から全体主義、二つの世界大戦、アウシュヴィッツ、広島・長崎を経験した激動の二十世紀は、ステファヌ・マラルメの「世界は一冊の書物に到達するために存在する」という悲願を、本書によって実現したのであろうか…。中井英夫ならぬ塔晶夫畢生の大作『虚無への供物』が、建石修志の衣装を纏い三十六年ぶりに復活する。


Amazon紹介より

 夢野久作の『ドグラ・マグラ』、小栗虫太郎の『黒死館殺人事件』と並ぶ、日本の3大アンチ・ミステリ。
 『ドグラ・マグラ』が繰り返す狂気、『黒死館~』が衒学的ペダントリーに彩られた異形の世界であったのに対し、この『虚無への供物』は正統派のミステリの先を見据えた作品って感じがします。なにより、この3作品の中では圧倒的に読みやすいのが嬉しいですね~。

 冒頭のサロメのシーンから始まり、繰り返される密室殺人と推理合戦、そこから導き出される異様な解答の数々・・。
 道具立てもアイヌの怨念、五色不動の因縁、コンガラ・セイタカ童子達の暗躍、作中作・・・などなど、昭和のミステリの妖しい要素が物凄く詰まってます。
文章も古臭くないというか、とにかく色褪せてないので、一度読み始めると止められない。
 またこの推理合戦で提示される謎が胡散臭いのがいいですね~。特にやたら「ノックスの十戒」に拘る老人、藤木田翁の存在がこの小説の存在を暗喩してる気がしてたまりませんよ。

 ここまで紹介していると、一体どこがアンチ・ミステリなのかというのが最大の疑問なんですが、これはもう動機の設定にすべてがあるというべきなんでしょうね。昭和史を飾る大事件・事故を下敷きに、犯人が探偵達に動機を語る(というより、ほとんど演説に近いです)場面は、ほとんどその当時のミステリにおける批判的考察であり、未来のミステリに対する警告ともいえるような名文です。

 とはいっても、その根底にあるのはミステリの孕む危うさに対する著者の心配であり、ミステリそのものの批判ではないかなと思います。逆にいえばそこに提示される問題をクリアした時には、偉大な本格推理小説が生まれるんじゃんか、とすら感じられるんですよね。
 ただ現在に至るまで、それを可能しらしめた小説が思い浮かぶかというと、なかなか思いつかないのも現実で、そういう意味でも「推理小説の墓碑銘」という歌い文句は、言いえて妙だと思いますね。

 講談社文庫の新装版上下巻では、帯の紹介文を綾辻行人京極夏彦という新本格を語る上でそれぞれターニングポイントとなった2人が書いていますが、彼らの作品群を振り返ると、未だに『虚無への供物』の呪縛にかかったるんじゃないかとすら思いました。
 それは、多分他の推理作家の作品を振り返ってみても、同じ感想です。まあ、この辺なんかはぼくが勝手に感じてることなんで、実際はそんなことないかもしれないですけどね~。

 でも、やっぱり推理小説を語る上で間違いなく後発の作品に多大な影響を与えてると思うし、その面白さをあわせてひとつの頂点ともいえる作品だと思います。日本の3大アンチ・ミステリは、それぞれ難解そうなイメージがあって手を出してない人もいるかと思いますが、少なくともこの『虚無への供物』は読まないと絶対損をしてる、といいきれる作品だと思います。

(2006.5.8 ブログ再録)